🍵トドマツ茶房☕

閑雲野鶴

あれから11年。。。

あれから11年。。。

今日、あの日と同じ金曜日。。。

当日、彼岸前の激務法事で平日なのに(確か金曜日)昼過ぎまで白衣法衣で過ごしてて、
庫裏で仕事後の☕一服中だった記憶。。。

。。。。。。。。💢グラッ!!。。。。。。。。。。!んお!( ゚Д゚)y─┛~~

とりあえず、ガスの元栓チェックして、玄関のドア開けたぐらいに強い揺れに!!!

食器棚の扉が勝手に開いたのを見てすかさず扉ごと食器棚押さえる!

チョイして揺れが弱くなったように感じたんで、足元ふらつきながら早足で本堂へ、、、

んで、スグさま、、、💢グワわわッ!!!💢

立て続けに来た揺れで本堂で大きな音が!。。。電灯式の灯籠がおかしな動きでヘドバンしてて
灯籠の傘が壁に穴開けたあと、床でゴロゴロ転がってた💦

建物全体が軋む音と地鳴りのような音。

頭ん中には、修行中現地で体験した阪神淡路大震災の時の音と惨劇。。。

「とうとう東京にも来たか。。。終わりか。。」と思えた。

まだ強い余震続く、七七日めの、4月28日木曜日。まだ薄暗い早朝、
記憶では、登山リュックに線香6箱、清酒2本、清め塩2キロ、各種経本、災害復興支援金現金で10万(自費)、
トイレットペーパー1個(自分用)、カロリーメイト4箱(自分用)、ポケット羊羹4本、常備薬数種を詰め込んで、
作務衣に登山靴、金剛杖に念珠、五鈷鈴、網代笠というカッコで上野駅へ。
始発の新幹線で仙台駅へ。乗り換えで仙石線で東塩釜駅へ。
そこから先は線路が分断されてたんで、東塩釜駅から代替バスにて石巻駅まで行った。

親、特に母親からは「なぜアナタが行かなきゃいけないの?」って強く反対された。
親心。すごく有り難かった。
でも、僧侶としての自分が行くと決めていた。

石巻駅前の道端にはうなだれて座り込むお婆ちゃんとお孫さん。
風の向きによって入れ替わる、街中に漂うクサヤの様な腐敗臭と炊き出しのイイにおい。
その中を災害派遣されてきた自衛隊の方々が隊列行進していき、奥では警察の捜索隊が作業前の点呼を取っていた。
日向ぼっこしながら復刻堂の仮面ライダーサイダーを仲良く飲んでるおチビちゃん達。
平時なら吸っちゃイケナイ場所でタバコ吸いあったご老人。

すべてがたったの11年前。

南無東日本大震災物故者一切各霊位 佛果成三菩提為也   合掌

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