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3.11追悼 次世代へ。

3.11追悼 次世代へ。
2011年3月11日 東日本大震災。
当時9歳であった私も東京にて震度5強の揺れに襲われた。
机の下に潜って、水槽が波打ち、国語辞典が音を立てて落ちる、脳裏には両親が思い浮かび、揺れが収まると担任がテレビを付けて、揺れが続く中で校庭へと避難をした。
揺れは怖く、夜になっても玄関近くで待機をして、夜中も余震が繰り返し繰り返し続いた。
福島県で震度5だと東京は震度3程度の揺れであった。
テレビは似たり寄ったりのCMが連日放送されて、遂には福島第二原発事故が起こり、朝刊の一面、大きく原発の写真が載った。
被災者が増えた。沿岸部が壊滅的な写真や、津波到達の映像が流れる。ヘリや地上から撮られた到達時の映像が。
月日が経ち、宮城県沿岸を始め、福島県沿岸から岩手県沿岸と、訪問をさせて貰った。
高台に建物は再建がされて、沿岸部には妙な空白地帯が残る。
私の記憶史上、あれ以上に恐怖を感じる事は無いだろう。
また、一早く栄え直す事を強く心から祈り願うばかりだ。
人名が多く失われ、死者は勿論、行方不明者も数多く、自衛隊や地元の人々は沿岸部を捜索したり、見つからない遺族は流された家のあった場所で献花しては泣き苦しむ姿が何とも言えない。帰ってこない人たちである。海に流されて姿を消してしまった。出掛けたきり。
あれ以来、親とのいってきますは笑顔で大切にしている。悲惨な事がこの日本であったからこそ、その教訓を出来る限り多く得ては、後世へと残したい。
覚えていない世代が増える中、覚えている世代が、振り返っても耐えられる人たちが、後世に継承をしていかなければならない。そう私は思う。それに私も含まれる。
だから私は綴った。
多くの死者行方不明者が安らかに眠り、冥土でも幸多き事を祈ります。
また、今年は13回忌を迎える年でもあります。
どうか、御遺族にも幸がありますよう。

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